イーピン企画の詩人、渡部友一郎クンが所属いたします劇団「三条会」の公演「失われた時を求めて」を千葉まで観に行ってまいりました
19時30分開演でしたから、18時には家を出なきゃなあと思っていたのですが、起床したのが18時!
電車じゃ間に合わない+バイクだったら間に合う、と踏み颯爽と京葉通りをブイーンとボルティちゃんを走らせます
市川を越えたあたりで、何故か高速道路に入ってしまっていて、料金を取られてしまいました
というより盗られたという感じ
「もっと、”ここから有料ですがちゃんとお金持ってますか?”的な看板をボーンと設置してしかるべき何じゃないんですか!!」
・・・という文句をゴクリと飲み込み、200円支払います
風も気持ちいいし、もうここから高速で行っちゃおうと、会場の最寄のICまでそのまま走らせることにいたしまして、しばらくフンフン♪と「私は風」気分を味わいます
と、気がつくと、まわりには千葉的なナンバーをつけた大型トラックと、空港行きの大型バスがゴオゴオと粉塵を撒き散らして疾走しており、ボクは獰猛なライオンに取り囲まれた子羊のような状態です
漏れ出る悲鳴はゴクリと飲み込むことができずに、インターを下りるまで、で、「ひいいいあああああ!!!」と叫び続けました
さて、命辛辛到着しましたアトリエで行われた本公演、本屋に行くたびに気になっていた長編小説「失われた時を求めて」が原作です
その概要をググってみますと、
主人公「わたし」が、自分の生きてきた歴史を記憶の中で織り上げて、第一次世界大戦前後の都市が繁栄した時期・ベル・エポックの世相風俗を描くとともに、社交界の人々のスノビズム(俗物根性)を徹底的に描いた作品でもある。記憶と時間の問題をめぐり、単に過去から未来への直線的な時間や計測できる物理的時間に対して、円環的時間、そしてそれがまた現在に戻ってきて、今の時を見出し、円熟する時間という独自の時間解釈、「現実は記憶の中に作られる」という見解を提起して、20世紀の哲学者たちの時間解釈にも大きな刺激を与えた。
・・・とあります解説文は、さっぱり意味が解りません
始まった芝居も、・・・やっぱり意味が解りませんでした
しかも芝居は「失われた時を求めて」を7部作に分けての公演で、今夜はその第3部
原作全13巻のうちどの部分が使われているのかもちろんですが、どこが使われているか解ったとしても難解だったであろうことは明らかです
1時間弱のアトリエ公演ということで、実のところあまり期待はしていなかったのですが、実に美しい段取りと所作で感嘆いたしました
「わたし」を演じたユウちゃんが、長い台詞を吐くシーンが冒頭にあるのですが、あまり準備期間がなかったことは聞いておりましたので、実にハラハラしながら拝見しましたが、とても満足いたしました
今回のチラシと、帰りに買った例のおすし屋さんの折り詰めをパシャリ
今宵も半額でした!!ルンルンです
上に移っているサイコロキャラメルは、観劇の際にいただいたものです
実は、この公演の寸前にユウちゃんのお母さまがご逝去されました
本日の舞台も、お葬式の後駆けつけたのだそう
主人公「わたし」のモノローグの中で、お祖母ちゃんを看取るシーンがあったのですが、本人はまったくそんなつもりは無かったと思いますが、ボクは勝手にお母さまのことと繋げてしまって、観劇中にボロボロ号泣してしまって、ちょうどいっしょの回に観劇していたオカちゃん・主浜・メイビと事務所のサトコちゃんの失笑を買ってしまったのでした・・
みんなでパシャリ(サトコちゃんに撮っていただきました)
ユウちゃんもチラリ写っています(後ろの赤シャツ)
いやはやでも、ホント、ユウちゃんお疲れさまでした
お母さまのご冥福をお祈りいたします